03年3月13日  大島・三原山


 メンバー:塾長・Gyosho二等兵・カネコ(記)

 12日21:50竹芝桟橋にて大島行きの切符を購入する。が、早くも「復路は熱海にすべきか?はたまた久里浜か?」 で大いに悩む二等兵。結局両便共に満席で往復・竹芝桟橋となる。この往復切符は予め塾長が予約していた切符なのである が、予約はタニシ氏を含み4名であった。が、体調不良によりタニシ氏欠席。窓口にて「ひとりキャンセル」と告げたら、 何とカネコ分がキャンセルされてしまい、乗船名簿にはタニシ氏の名前が載っていた。訂正するのも面倒なので、今回の 山行、カネコは『タニシ』として参加することにした。
 以下、失礼な文言があった場合、これ全てタニシ氏の発言とする。

   5:50大島着。6:05発のバスに乗り、登山口を目指す。バス終点のホテルにて朝食を済ませ、身支度を整えて 出発。「南の島」をイメージしていたのであるが、三原山にはうっすらと雪が積もり、風は超冷たい。顔が強ばり、口が まともに開かない感覚。それでも天気は良好で、まずは割れ目噴火口を目指す。
 軽い登りの車道をひたすら行くとドン詰まりとなり、そこが割れ目噴火口。86年11月に噴火したときに出来たもの らしい。噴火当時、溶岩の流れ出すテレビ映像を飽きもせずに眺めていたが、その後がこんな風になっているという実感が いまいちわかない。黒い溶岩には早くも草木が生えており、生命力の強さを感じさせる。

<右記、赤い線が今回コース>

 そこをずんずん進み、車道を暫く歩くと、土産物屋が並ぶ三原山登山口に到着する。土産物屋の先には、荒涼とした溶岩 と砂漠が広がっている、不思議な景色があった。舗装された道を歩いた後には、ごつごつした溶岩を踏み歩く登りが待って いる。行く手には湯気を吹き上げる道。地面から水蒸気が上がって箇所で、二等兵が試しに凍えた左手を溶岩の道に突っ込 んだ。「暖かい!」の声に残りの二人も手を突っ込む。ホント暖かい。
 「指宿温泉のように体を埋めてみるか?」と塾長案が飛び出すが、それをするにはちょっと熱過ぎ。拷問になってしまう ので、その案は却下。

 三原山の稜線に出て、お鉢廻り開始。噴火口や砂漠地帯を眺めつつ歩いていると、突然、一台の車が止まった。気象庁・ 大島測候所の職員3名が、噴火口の地熱などを測りに来たらしい。
 常に好奇心いっぱいの二等兵は、職員に色々と質問をぶつけてみる。そこで判明したことは
 1. 三原山の地熱は、現在40℃〜50℃。高温のときは、180℃ぐらいあった。
 2.三原山山頂付近は沈み加減であるが、外輪は外に向かって崩れている。
 3. 大島は移動しており、あと100万年経つと箱根と大島はくっついてしまうので、石原都知事に「慌てて箱根・大島   間の橋をかける必要はない」と提言する
など、役に立つ情報を得ることが出来た。

 途中途中には、蒸気が上がっている箇所が多数ある。予想外の寒さに疲れたので、その蒸気の上に座ってみると、これが なんともいえず暖かく、気持ちが良い。床暖房に座っているような心地よさ。湯気なので、服がじわっと湿ってくるのが 難点であるが、3名、意味もなく座り込み、和む。

 が、これはいかん!と先へ進み、展望台の写真を見学。ここにも86年当時の写真が飾ってあり、当時の噴火の様子が はっきりとわかる。下記の写真をごらん戴きたい。
 この写真に黒く写っている箇所は、当時、溶岩が流れ出た跡。この黒い 箇所を赤くなっているとイメージして下さい。ほら、あのときテレビで流れていた噴火の映像そのものです。ハイ、ハイ、 想像力をたくましくして見てくださいィ。

 噴火当時の凄まじさを実感して、下山開始。富士山の砂走りを連想させる道にて「コースアウトして、一直線に下ろう!」 とせっかち二等兵。素直に従う塾長の両名は、一気に下ってしまった。おお怖っ。こういう道ニガテ。でも砂走りに比べ れば短いのであっという間に下山してしまった。予定より1時間早いバスにて元町港に到着。

 ゆとりの時間は水着を着て入る、プールのような男女混浴の露天風呂(浜の湯¥400)にて過ごすことにした。海を 見ながら、なんやかやとおしゃべりをしつつ、ゆったりとお湯に浸かる。お勧めです。いやぁ〜、日本人は辞められまへん。  復路の船では、東京へ進学or就職する仲間を、色とりどりの紙テープで見送る同級生や在校生という、島ならではの別れ のときに立ち会うことになりました。ある意味、卒業式よりも切ない情景でしたね。

 思いもよらぬ塾長山行で、ゆったりとした山行を楽しむことが出来ました。毎度毎度、感謝しております。
 で、次回もよろしゅう頼みます。

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