山行報告
八王子城山(460m)
3月5日(日)
コンパスL(記)・KWさん・塾長さん・タニシさん・Kobayanさん・Yakkoraさん・コスコスさん・Ozawaさん・
Sekiguchiさん
◆八王子城山決戦前夜
「人事をつくして天命を待つ」今の僕にふさわしい言葉だ。
血液A型の完璧主義者である僕は、明日の山行を前に冒頭の挨拶からはじまり、山行のペース配分・想定
されるトラブル・さらに小林さんのギャグに至るまで、ありとあらゆるシュミレーションを行いすべて
想定内におさめてしまっていた。予定通りに事を運べば、無事に山行が終了するてはずが整っていた。
実は今回僕は2度目の山行リーダーである。山行経験の浅い未熟な僕をリーダーに選んでくれた人達に
答えるためにも、今回の山行はなんとしても成功に終わらせなければいけなかった。そう、ぼくは責任感
の強いA型なのだ。明日のメンバーは老練な連中ばかりだ。自分の豊富な成功経験が邪魔をして新しい
ことが出来なくなった頭の固い連中ばかりだ。ここはひとつ鍛えなおす為にもローマ帝国の軍隊のように
規律を重視した行進をしようと考えた。
(結局は敗走したローマ兵のような山行になってしましたが、まぁこれも想定内のうちだ。)
明日の山行は想定内と言うものの、本当のところロマンチックなおとめ座である僕は、明日の山行でどの
ような想定外に遭遇するのか楽しみで、遠足前日の小学生みたいにワクワクして眠れないのである。
でも寝坊するといけないので、みかんの皮を入れるゴミ袋をザックにしまい、布団にもぐり込み無理やり
まぶたを閉じた。
◆決戦当日
朝起きると快晴だった。
駅の近くのコンビニで弁当と飲み物を買い、集合場所の高尾駅に向かった。
途中の西国分寺駅で乗り継ぎの電車を待っていた僕は、向かいのホームで電車待ちをしている綺麗な女性
に見とれていた。彼女の表情からすると、これからデートなのだろうか?どんな彼氏なのだろうか?
向かい側のホームに数組の若いカップルがみられる。「そうだよな。せっかくの休日、若者は街に行くよ
な。」そんなことをふと思うと、確かに○○年前まで僕も上りホームで電車を待っていたはずだ。それなの
にいつの間に僕は下りホームで電車を待つようになったのだろうか。僕のいる下りホームは、ザック
を背負ったハイテンションなおじさんとおばさん達でごった返している。「休日の朝、若者は街に向かい中
高年は田舎に向かう。」そんなことを思いながら、高尾駅までの電車は立ったまま行こうと思った。
◆一騎当千のツワモノどもが揃い出陣(9:30 高尾駅出発)
久しぶりに会うメンバーがいる。懐かしく、元気そうでなによりと言ったところだ。
高尾駅から準備運動がてら登山口まで歩道を歩いて行く。
歩道には花が無いものの、世間話しに花を咲かせて行くところはさすがロマンの会である。
◆外堀攻略(10:15 登山口到着)
想定通りの挨拶をして、山は危険な為リーダーの言うことを良く聞いて行動するように、全員に注意を
促す。
八王子城山は北条氏照の居城として知られており、豊臣秀吉の来攻に備え守備固めしていた未完の城山
とされている。小田原を本拠地とした戦国武将、北条早雲の孫にあたる北条氏康が千葉から埼玉まで一大
勢力を築いており、その北条氏康の次男が城主の氏照である。
1590年6月23日豊臣秀吉の関東制圧の一環として、前田利家・上杉景勝らの軍勢によって八王子城が
攻められた時、氏照は兄の氏政と小田原城で豊臣秀吉に攻められており、八王子城は城主不在のまま1日
で落城してしまった、情けないと言うか可哀想なお城である。
八王子城の落城をきっかけに北条氏が降伏したことにより豊臣秀吉の天下統一が実現し、その後豊臣秀吉
の国替えにより徳川家康の領土となり、江戸幕府の直轄地として保護され現在に残っている。
◆敵の攻撃をかわし突入(10:30 登山開始)
頂上まで40分の看板があり、気持ちとザックが軽くなり楽勝と油断する。
◆八王子城落城(11:10 登頂)
「えっ!ここが山頂?」と思ったぐらい、あっけなく到着。
本丸跡にある神社でお祈りをすませ、集合写真を撮影する。
(山頂にはトイレが有り、すこし行ったところに井戸もあった。あっぱれな山である。)
◆深追い(11:30 富士見台に向かう)
時間が早かったせいか物足りなさを感じたので、足を伸ばし富士見台まで向かうことにする。
ここからの道のりがとても長く、アップダウンの繰り返しが続きかなりつらい。山頂までの40分の看板
にメンバーの気持ちが緩んでしまっていたのだ。途中天守閣跡の標識がある場所を通過する。本丸と天守閣
の違いがよく判らなかったが、お昼が過ぎておりメンバーの機嫌が悪くなっていたので目的地に急いだ。
富士見台目前で、腹の虫に負けてしまうメンバーが続出。
「Kobayanさんの燃費はアメ車なみだ。」と言ったYakkoraさんの言葉に説得力を感じる。
◆勝ち名のりをあげる。(12:30 富士見台到着・昼食休憩)
富士見台からうっすらと富士山が見える。湯気が立ち込めた銭湯の富士山のようだ。カメラで捉えること
ができずメンバーが残念がっていた。待ちに待ったビールで乾杯。ここに来るまで不機嫌だったメンバー
が一瞬にして笑顔に変わる。テーブルのある場所で全員揃って食事。
日頃食べ尽くしたコンビニ弁当でも、山で食べると最高にうまい。僕はこの為に山に登っていると言って
も過言ではない。普段は養鶏場のにわとりみたいに、時間がくると単に腹を満たす為に食べている昼食だ
が、山での食事は一味も二味も違う。うまいのだ。
去年、和気さんが磐梯山に持ってきたチョコレートが非常に好評だったらしい。特にOzawaさんのお気に入
りだったみたいで、次の日も食べたかったのに無くなっており、とても悲しかったとのこと。
二つしか食べることができなかったと、とても悔しがっていた。山よりもチョコレートが思い出に残る
とは・・・
つくづく食べ物は恐ろしいと思った。さりげなく、夜残っていたのでチョコレートを全部食べてしまった
と言ったYakkoraさんは、Ozawaさんの反感をかっていた。
一方でタニシさんは、おにぎりに巻く海苔が3枚あるのに、肝心のおにぎりが2つしか無いとしきりに
溢していた。よほど悔しかったのだろう、この二人はやけ酒みたに飲んでいた。僕も少し飲みすぎた。
倉田酒仙がいるだけで、なぜだか全員普段以上に酒が進んでしまう。
オリンピックの話から0.03秒差で4位になったアルペンスキーにおしかったとの感想を話し
合っていたとき、Kobayanさんが自分のお見合い写真も同じようなものだと発言。kobayanさんのお見合い
写真は女性に瞬殺されていることに全員大爆笑。(Kobayanさんの冗談だが、これは想定外に面白かった。)
◆凱旋(13:30 下山開始)
もっと飲んでいたかったのだが、下山することにした。
下山もアップダウンの連続でかなりきつい。
やけ酒のOzawaさんは、荒川静香なみのリナバウアーを決めながら下山しており、あっと言う間の下山だっ
たと言ったが、コスコスさんが夏山登山みたいと言ったことが、的をえた正しい表現だろう。(3月にしては
タフな山行だった。)下山途中の休憩でKobayanさんがメンバーにみかんを配ってくれた。さすがKobayan
さん気配りに余念がない。でも僕にとっては想定内のことだった。昨晩ザックにしまったみかんの皮を
入れるごみ袋をさりげなく取り出し、リーダーらしいところを見せた。Kobayanさんには、ドラえもんの
ようにポケットからびっくりするような物を出して欲しかった。
青春時代は馬鹿な事や無駄な事を一生懸命やっていたような気がする。なぜ大人になると出来なくなった
のだろうか。税金を納めたことが原因であると思う。
税金を納めることに一生懸命になりすぎるのだ。でもロマンの会はそんな納税義務を忘れさせてくれる、
ありがたい会だと思う。
◆天下統一(15:15高尾駅着 全員無事下山)
今度いつ会えるか判らない。電車の中で倉田さんに残った酒を振舞ってもらう。別れの杯を交わし笑顔で
バイバイ。(一期一会だ)
17:00帰宅「あぁ楽しかった!」やさしい気落ちと心地良い疲労感が体を襲う。このまま瞼を
閉じれば朝までぐっすり眠れるだろう。疲れた体が睡眠を求めている。僕はこの感覚がたまらなく好きだ。
生きている実感がするからだ。いつも定時に起床し・食事して・眠くも無いのに眠らなくてはいけない。
時間に妥協しながら規則正しく生活している。でも山でのおいしい食事やこの心地良い眠たさは日頃とは
全く異なる感覚である。山が好きな所以だ。(要は運動不足なのであるが)明日は筋肉痛に襲われるかも
しれない。
体がだるいだろう。それも日頃とは異なり、山行の余韻としていいものだと思う。
◆天下泰平
参加された皆様、お疲れ様でした。未熟なリーダーでしたが、今回の山行で少し自信と勇気が持てました。
ありがとうございます。これと言ったことは無く無難な山行でしたが、思うまま勝手なことをたくさん
書かせて頂きました。本山行ということでご了承ください。
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